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ワールドレコード・キャンプ

By Will Gadd (訳:沢  徹)

数年前、ゲイリー・オソーバはアメリカ国内でパラグライダー世界記録更新が可能な、継続的に強い風が吹き、良好なサーマルがあり、その他様々な条件がそろった場所を探していた。彼はテキサス州ザパタを選んだ。昨年、そこでハングの世界記録が数度、更新された。その中には、マンフレッド・ルーマーの688kmも含まれている。ジョシュ・コーンはパラグライダーで320kmのゴールフライトを達成して記録更新、デイビス・ストラウドは固定翼で、640kmの世界記録を作った。このザパタは長距離フライトにはうってつけの地であることは明白だった。私は過去5年間、毎年春に世界記録更新を狙っていたが、98年にニューメキシコのホブスからテキサスのブライス近くまでの286kmの新記録を達成した。しかし、その後、オーストラリアのゴッドフリー・ウェネスに更新(335km)されてしまい、それからは再び世界記録を自分の手に取り戻すために、今春、記録更新とテレビ・ドキュメンタリー制作のため、ザパタでのフライテック・ワールドレコード・キャンプに参加した。

 

6月14日に現地に到着。翌日にはデイビッド・プレンティスと私は7時間かけて、240kmを超えるフライトをした。19日にはルイーズ・クランダルと私が208kmを6時間で飛び、20日にはデイビッドがオゾン・プロトンGTで384kmの世界記録を達成。 彼は午前11時にテイクオフして午後8時にランディング。同じ日にマイク・バーバーとピート・レーマンがハングのゴールフライトで514kmの新記録を達成。マイクはそのまま160km以上飛び続け、誰も成しえなかった距離をフライトしたのだが、僅か1.6km足らず記録更新に届かなかった(現記録を1%超えなければ新記録とならないため)。

その日は特別だった。雲は早くから形成され、南風が強く吹きつけ、多くのパイロットがすばらしいフライトをした。残念ながら私は、準備不足などのトラブルがあって、トーイング・フィールドを出ることすらできなかった。自分自身に腹が立ったが、彼らのすばらしいフライトのエネルギーを感じ取ることができて、興奮を禁じえなかった。21日、ゲイリーは弱い東南東の風だと伝えてきたが、私はその日の条件で可能な限りのフライトをしようと決めていた。以下がその記録である。

 

6月21日

昨日のことで私の意欲は極限にまで高まっていた。負の要素は何ものにも増して意欲をかき立ててくれるものだ。午前9:30には私はトーイング・フィールドにいた。空は湿った雲に満ちていた。ゲイリーの朝の予報では、比較的弱い南東風ながら、早くから良い雲の形成が期待できた。確かに良い雲ができていたが、前日より動きが遅かった。風が弱いため、多くのパイロットは飛ばないようだった。しかし私は、9:50にトーラインにつながった。ルースとボウの二人の手伝いでデイビッド・プレンティス(彼は前日のフライトから戻ったのが朝の4:30で、9時には私のトーイングのために来てくれるというほど意欲的だった。)がトーイングしてくれるのだ。彼らのアドバイスに従い、頭上に良い雲が形成されるまでトーイングを少し待つことにする。トーイングは非常にうまくいき、デイビッドは私を地上300mまで上げてくれた。私のトーイングではこれまでで一番高度がある。すぐに軽いがしっかりしたリフトでさらに30mほど上がり、いよいよゲームの始まりだ。時刻は10時。今まで、11時前のトーイングで滞空できたことはなかったが、この朝は何かを予感させてくれるものがあった。

私は慎重に上昇中のトーラインから離れた。朝のうちはワンチャンスしかないことが多いからだ。風は強くなり、数回のセンタリングで道路の少ない、回収の非常に困難なエリアの上空に到達してしまう。3日前に私は、13km足らず先にランディングしてしまい、回収車は私のいる場所から歩いていける地点まで、4時間かけて来てくれた。私は回収車を待つための日陰を求めて、1.6kmほど歩いてブッシュに達するまでに1.5Lの水を消費した。これまでフライトしたほとんどのエリアは、アクセスできる道路があり気温もそこそこであったが、ここには道路はたくさんあるものの、ほとんどが手前にロックされたゲートがある。その上これまでに経験したことのない気温である。ここでのランディングは冗談では済まされないものがある。国境警備隊員によると、ブッシュの中でよく死体を見つけることがあるそうだ。

私は、上昇はゆっくりではあるが絶対に、地上の熱射より雲底の涼しさの中にとどまる方を選びたい。

 

無線で、メキシコの友人、フェリペ・ファランがフライト中であることを知った。良かった。たとえ離れてはいても、誰かが同じ時にフライトしていることは、ランディングした場合の回収車への無線中継をしてもらえるからだ。私のフライトはゆっくりで、一時間で32kmしか進んでいなかったが、また飛び続けている。ここでの私自身の2回の長距離フライトを振り返ってみると、サーマルがそれ以上見つけられなくて、午後7時にランディングしている。それから考えると、今のままでは9時間で288kmとなり、目標の387kmにははるかに及ばない。しかし、日中は通常、スピードが上がるため4時間は時速48kmで進み、その後、夕方になってスピードが落ちるとすると、多分、368km位までは行けそうだ。

 

グライダーが押し上げられ始めた。フライトに集中しよう。どんなに計算したところで世界記録には届きそうにないが、朝から継続してフライトする経験は悪くはない。このまま飛び続けて午後1時にどのあたりまでいけるかを見てみたい。通常、12時〜1時の間にランディングしてしまうことは多い。これを私は「魔の時間」と呼んでいるが、朝のサーマルが終り午後の活動が始まる前の時間帯と言うことだ。この時間帯を乗り切る経験をもっと積みたい。

10時から11:30までは非常に慎重にフライトした。このゲームを継続するにはどんなに僅かな上昇でも回して、できるだけ高く滞空し、地上の地獄から離れていたかった。11:30には空ははっきりと乾いてきて、日中の熱射で雲底が上がり、サーマルの間隔が広がってきているのがわかった。+3.5mのしっかりした上昇で雲のない上空へ1950mまで上がった。それまでの雲底1050mよりはるかに高くなっている。そこで今回初めて、東への長いグライディングを試みた。ラレド空港の管制空域を避けるためである。ゲイリーによる予報では南よりも東風になるとのことで、そうなるとメキシコやラレド空港、さらに、テイクオフから320km先のデル・リオ空軍基地から離れることが困難になる。少しでも東への進路をとることで、それらの方向に吹き寄せられないようにした。

 

12時に昼食のポップタルトを2個開けて、最初の一個をたいらげた。フライト中に飲食することは、意欲を持続させる上でも不可欠なことだが、残念なことに私は2個目のタルトを落としてしまった。私の食料コンテナに残されたのは、オートミール・クリームクッキー2個だけで、まだまだ先の長い一日が待っている。とっさに、スパイラル降下で落ちてゆくタルトを追いかけようとさえ考えたが、見事なスピードで私から離れていくタルトは私に、すべての物体はパラグライダーより速く落下するものだと認識させてくれるには十分だった。 最初の2時間で72km。とても記録を狙えるペースではない。ランディングすることも考えたが、対地600mまで下がるたびに熱風は耐えられないほどで、ビデオおよび回収車担当のダリルははるか後方にいる。私は惨めに迎えを待つよりは、飛び続けるほうを選んだ。

 

午後1時には104kmまで来た。風が弱まったのかサーマル間の移動速度が、時速51kmまで落ちた。ひとつには、メキシコから離れるためにクロスウィンド気味に飛んだこともあろう。ラレドの北からデル・リオ手前までの間は麻薬密売人であふれており、いきなり撃たれる、と警告されていた。 この上空は条件もよく、私はあえて道路のない広大なエリア上空を雲に沿って、午後2時、136km地点まで行くことにした。4時間で136kmでは時速35kmで、世界記録には十分なスピードではない。そこで、バリオで+2m以上の上昇があるまではセンタリングせずに進むことにした。 通常、この作戦は長距離フライトには有効ではない。重要なのはたとえ弱いリフトでもひろって滞空し続けることで、あとは風の力に任せることなのだ。雲底は2250mまで上がったが、サーマルは雲底の下300mあたりで弱まり、残念ながら雲の発達はそれまでより明らかに小さく、間隔も広がっていた。その下に沿ってフライトしていけるような、しっかりしたクラウドストリートはなくなったが、サーマルがはっきり弱くなったらすぐにはなれて、先に走ることに最善を尽くした。この方法では常に高度が低くなるが、風の状態はよく、スピードバーをできる限り使い、ブレークコードをできる限りリリースすることで、時速56kmで進むことができた。

午後3時、176km。最初のクリームクッキーを口に入れて、頭の中で面倒な計算をしてみたが、新記録はとても無理に思えた。384kmまではあと208kmを4時間で、運が良くても5時間で飛ばねばならない。平均時速35kmではそこまで行かないが、もしもう少し南よりの風が終盤に吹いて、今後2時間でもう少しスピードが上がれば、記録に近くなるだろう。 ダリルが、私に少しでも記録達成の可能性があれば喜んで追走すると言ってくれたことが精神的な大きな支えだ。意欲的なドライバーの存在が私を飛び続けさせてくれる。その逆は長距離フライトでは致命的である。

OK,レースの始まりだ。」カーレースの時のように、砂塵を舞い上げて飛び出していく様を想像した。ダリルは近くまで来ているし、回収道路も十分ある。行かない手はないだろう? 

先を急ぐために弱いサーマルをとばしたために、30分後には地上120mになっていた。熱風はぞっとするほどである。たぶん、地上90mぐらいだろうか、非常に弱いサーマルを見つけて上がり始めた。今ランディングして暑さの中で苦しんで迎えを待つより、6時ごろになって涼しくなるまでは飛び続けたかった。 すぐに私のこの弱々しいサーマルは、すばらしい上昇となって2000mでの涼気を楽しませてくれ、まだ雲底よりは低いが、スピードバーに足をもどして、風下に向きなおすには十分な高度だ。積極的なフライトを続け、少し東に向けて空軍基地を避けるようにした。その後の2時間はあっという間で、時計が5:30を示しているのが信じられない思いだった。できるだけ速く、できるだけ効率的に飛ぶことだけに集中していたのだ。 テキサス北部では急に土地の標高がせりあがってきて、海抜1000mほどになる。 地上300mほどになると決まって強烈なサーマルにあたって、2000mほどまで上がるようになっていた。作戦は当たった。6時には304kmでデル・リオ空軍基地からも十分はなれていたし、テキサス州がメキシコに入り込んでいるあたりで、風向きに沿ってもう少し西にフライトすることができた。もし、この後の2時間を時速48kmで8時までフライトを継続できたら、新記録は私のものになる。

 

テキサス・ヒル・カントリー(丘陵地帯)はザパタから320km地点から始まっている。私の位置から最初の丘までは雲が見られない。雲がなければ通常は良いサーマルは期待できないが、私の高度は約2000m。風下の丘陵帯に向かい、最善を祈った。 ゲイリーが、丘陵地帯ではよく風が加速されると話していた通り、時速72kmで進み、丘が私の高度までせりあがってきていた。対地150mにまでなったころ、不安が頭をよぎった。ここまで大気が非常に穏やかで、サーマルの活動が終わりかけているようだった。対地高度60m。私の先300mのところに10羽ほどの鳥がぐんぐん上昇していくのが目に入った。何とか届くだろうか、と思った時にグライダーがサーマルに引っ張られるのを感じた。このままサーマルをつかんで上げられれば、記録は目前だろう。しかし、サーマルの風下側の高圧線群が状況を複雑にしていた。風は強く、サーマルをつかめなかった場合は風下側に流されて、風上に向きなおす高度がないまま、ランディングしてしまうだろう。サーマルに乗って上昇できるか、フォローの風で危険なスピードで降りるかのどちらかしかなかった。 追い詰められた人間はとっさの行動をするようで、私は歯をくいしばり、ブレークをしっかり握り、沈下ゼロのラインを獲物を狙う鮫のようにたどっていくと、グライダーへの圧力と突き上げを感じた。それが終わらないうちにターンに入れ、真ん中に突っ込まれた鳥たちは一目散に飛び去っていった。高圧線をクリアし、10分後には高度1800m、できたての雲の下にいた。下あごは痛み、全身が震えていたが、今や新記録は手の届く現実のものとなっていた。
午後7時、352km。無線でダリルに、自分が再びゲームに戻ったことを伝えた。「GO!GO!」彼の答えだった。私の雲が強いシンクになるまで乗り続け、そこを離れた。

 

風下にはまだまだ雲があり、私は時に最高時速80kmで進んだが、沈下も岩の落下のようであった。眼下の地形は荒々しく、まるで神が地表をしわくちゃのカーペット状に創造したかのようだ。パラグライダーでランディングするには良い場所とはいえない。急激に起伏している丘の上空150mでダリルとの距離が近くなり、私の方角と距離を知らせ、フォローに乗って72kmのスピードで、60mほどの高さの最初の丘に向かった。7:30。ザパタで私がフライトしたなかで最も遅い時間になっていたが、上空ではまだ明らかに雲が形成され、まだ先に行けそうである。ダリルは私が尾根の向こう側に沈んでゆく様を撮影し、あとで、「まるで航空機の墜落をテレビで見ているようで、機体が丘の向こうに消えた後で、火球と煙が立ち上るかと思った。」などといっていた。 私は尾根より低くなり、再びこんな状況に陥った自分をののしった。強風でバックしながらうまくランディングできる場所はなく、尾根は確実にひどいローターをもたらしているだろう。どのアクセスからも何キロも離れたところにクラッシュする様が頭をよぎった。低くなっていく中、リザーブパラシュートのハンドルをチェックし、いざという時は開くだけの高度があることを願った。 別の低い尾根に行き着き、グライダーを風上に向ける。ある程度ブレークを引いた状態で尾根の上を約3m/sのスピードでバックしながら越え、ローターの中でも安定させながら尾根の風下側の、陽が十分にあたっている大きなボウル状の地形に向かう。突然、グライダーに圧力を感じ、風のうなりを聞いた。バリオは+3mを示している。通常、このあとにローターの中での強いシンクが待っているものだ。ローターの中でのシャープなターンは良い考えではないが、「これは多分サーマルだろう。」と言う希望的な思いが消えないうちに、深いターンを風下側に入れた。グライダーのセンターから重心が外れて不安定になるのだが、グライダーには圧力を感じ続けている。良いほうに転ぶかあるいは悪いほうか、いずれにしても何かが起ころうとしている。

 

丘陵の300m上空で、再び私は全身がコントロールできないほど、アドレナリンによって震えていた。ダリルに無線を入れ、何とか難を逃れたが、今までのパラグライディングで最も恐ろしい経験であったことを伝えた。午後7:45に368km地点で雲底。できたての小さな雲の近くに漂い、まるで絞首刑台の足場が落ちる寸前に、首からロープを外された気分であった。

 

私は美しい夕景の高みを楽しむようにゆったりと、けだるくセンタリングした。恐怖と平穏の境はほんの僅かなものであることを感じた。ダリルにGPSでわれわれの位置での正確な日没時間を確認するように頼んだ。8:45pmという答えに続いて、「今日は夏至だよ。一年で最も日が長いんじゃないか!」と伝えてきた。

私はすでに10時間あまりフライトしていた。夕方遅くの日差しでは北西方向は見えにくかった。道路の近くにランディングしたかったので、ダリルに証人になってもらうことにした。しかし、2度にわたる低空での格闘の末の疲労で、そのあたりの道路と自分の位置関係がつかめなかった。8:15までセンタリングを続けてからファイナルグライドに入る。 対地高度300m。良さそうな道路のある大きく開けた谷を見つけた。その谷に入っていき、風に向けるとゆっくりバックしながら、弱いローターを抜けて降下していく。423km地点にランディング、午後8:38。日没7分前で、10時間38分のフライトである。 数年かかったが、世界記録はまた私の手に戻った。 パラグライダーで今まで誰も飛んだことのない距離をフライトした快感もあるが、加えて、自分の今までのベストフライトとなったこと、それが最も重要なことなんだ!

 

追記:

セシル(名字は覚えていないが、ブラジルから来たうまいパイロットだ)が同じ日に、400kmフライトした。ランディング後、彼は7時間歩いて廃屋となったガソリンスタンドで夜を明かし、翌日に帰ってきた。無線は電池切れ、携帯電話は持っていなかった。大胆なやつだ!

回収車を運転してくれたダリル。数年間、私をサポートしてくれ、この驚異的なエリアを発見したゲイリー。トーイングしてくれたデイブ(彼は私がトーイングを離れた直後にこう言ったそうだ。「彼が僕の記録を更新してくれるようにとトーイングしたんだ。少なくとも24時間は記録が僕のものであってくれればいいさ。」)。バログラフとGPSのダウンロード(すべてOKだった)をしてくれたデイビッド。そして、特にこのワールドレコード・キャンプに参加した意欲的なパイロットたちと共にフライトできたこと。すべてに感謝したい。

ザパタでのフライトはかなりのリスクがある。私が今までにフライトした中では、7月のオーウェンズ・バレーが同様であった。もし道路から遠く離れてランディングしたら、熱射病、脱水症状で死にいたることもある。多くの不法移民たちがそうなったように・・・。私は、テキサス丘陵地帯については、手前で雲底につけて、そのエリアを飛び越えられると確信できない限り、再びフライトするつもりはない。その一方で、もし風速があと毎時8kmほど速ければ、あと80km先まで、多分310マイル(496km)までは行けただろう。 ゲイリーによるとこの日のコンディションは、10段階で4程度とのことだ。誰かがここで300マイル(480km)というすごいフライトを達成することだろう。

世界記録は破られるために作るものだ。私の記録も多分、そのうちに・・。そうだろ、デイブ?

 

最後に今回のフライトは、ジェフ・フェイベル、クリス・サンタクロースとスーパーフライ・チームのサポートなしには成しえなかった。彼らはこれまでの数々のアドベンチャーで私を支えてくれた。

ジム、ヘイズとRed Bullチームは私の人生に自由というものをもたらしてくれた。感謝したい。

では、Fly far, land safely


テキサス丘陵地帯を抜けて・・・

 

Will Gadd 略歴:

 

カナダ人、34歳

 

世界有数のエクストリーム(極限)スポーツ・アスリートとして知られ、特にアイスクライミングのスペシャリスト。

 

‘97−98に世界最難アイスクライミングルートを拓く。’98−99極限スポーツコンペであるX-Gamesで優勝するなど、世界の主要大会に勝つ。2000年、アイスクライミング・ワールドカップ優勝。

 

カヤックの世界では北米の激流下りを数々、成功させているエキスパート。

 

ロッククライミングではグレード5.13を登り、カナダ選手権優勝3回。

 

パラグライディングでは、初のアメリカ横断フライトに成功。前世界記録(286km)保持者。

 

その他、テレマーク、アルパイン、ノルディック・スキー、スノーボード、ケービング、スキューバ、マウンテンバイク・レースなど何でもこなす。

 

以上の際立った成果を、これまですべての分野で安全に成し遂げていることが特筆されることでもある。

 

 

(翻訳者注:本文中のフィート、マイルは理解しやすいメートル、kmに直してあります。

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